こうして無事に26時間テレビが終了したわけだが、
率直に感じる印象は
「人材に関しては十分だが企画の練りが弱い」という感じであろうか。
確かに人で困ったというと紳助がいろいろなところに飛ばされるというのは
少し悲しい様にも見えたが、総合司会なだけに仕方のないことだろう。
ここで言う人材というのはいわゆる「スタッフ」のことであり、これに関しては様々な場所に
十分配置されていたので特に大きなトラブルもなく
番組を進行できた点についてはよかったと思う。
(タイムキーパーは一人でも十分なのではないかとか思いながら)
今回の26時間テレビの問題点は企画の練りが弱いと言うこと。
具体的に言うと、検証して大体予測がついたものの十分に
検討を重ねず続行を決めた企画があったり、告白するなどとスタッフが相手に
あらかじめ聞いておけば結果の分かるようなものをあえて聞かず
視聴者にカルチャーショックを与えてみたりなど
ということで、今回の総評記事は主と思われる企画を列挙して
それについて書いていくという異例のスタイルをとらせて頂きたいと思う。
評価できる点は赤色で、課題点は青色にしてあります。
・オープニング
いきなりカウントダウンのセットから開始。
(そのセットをエンディングの時にも使うのかと思いきや、使わず外で合唱して終了)
紳助が募金の話をし出す
→24時間テレビと何の関係もないのに、むやみにリンクさせるのはどうかと
(※相手の許諾があるのであれば別)
・クイズ!ヘキサゴン
ルーレットでどこに参加するかが決まるわけだが、
山根はルーレット以前にルーレットが回らずに強制決定
これもバラエティな演出だと思うが、反発する人も視聴者の中には多いはず
ルーレットが回らないと言うことは、あらかじめセットされていたとしか考えられない
・ひょうきんベストテン
羞恥心がランクインしたはいいものの、わざわざ起こしに行くのはどうかと
それなら、わざわざセッティングしておいて他のスタジオを確保して
歌わせるというのもあったのではないだろうか
ステレオを持って羞恥心のいるところまで来て羞恥心に歌わせるかと
思いきや最終的にインタビュワー自身が歌うという意味不明な展開
(見られていないため中略)
・耐久レースのゴール
どの地点でゴールなのかというのがはっきりしていないためにわかりにくい
紳助が感動的な発言を連発するものの、選手に届いていたのかもいまいち不明
カウントダウンももう少し盛り上がれたのではないだろうか
耐久レースのゴール後、完走した後の目標で「告白する」も見事断られた
→これが現実と諭すことも大事だろうが、全国ネットの中で断るというのは非常に大きいこと
視聴者は他人事ながらショックを受けた人も多いだろう
もう一人の方は断られたかと思うと逆告白という急展開
→時間がかかるだけなのであっさりといった方が良いのではないだろうか
離婚届を破ったり、契約書を交付されたりとある人にとっては
何かを成し遂げるための踏み台的なものとなったと思うが、
見ている側からしてみれば完走した時のパフォーマンスにしか見えない
そこまでしなくても、自分の言いたいことを言うだけ、
地方の何かを宣伝するだけで十分な気がする
→普段番組内で番組が宣伝できるのは数十秒だが、ここであれば
一分弱取れるのだから、それを有効に活用すればよかったというのが一つ
あきたこまちの宣伝が良い例
・エンディング
いかだマラソンがうまく進めずリタイヤとなり、船で運ばれる始末
そこで二人がお台場までの道を走っていると
マラソン扱いとなり「負けないで」を歌う展開に
→しかし忘れ物があったようでCM抜けた後もう一度歌い直し
※マラソンの時に負けないでを合唱するのは24時間テレビと同じ展開であり、
山根は以前24時間テレビのマラソンランナーだっただけに、ゴールした時混乱した様子
その後、新人アナウンサーの紹介や提供読みは定番だったが、
最後の合唱で涙する人続出。
<トラブル一覧>
・羞恥心の福岡公演中止
→天候不良は逆らえないことだが、そのための人材はどうなるのか
・いかだリタイヤ
→スタッフの事前の検証で「進まなかった」とわかっていたのに
なぜ計画続行を決意したのか
正直、無謀な計画だったのではないか?
無理と数週間前から分かっていたのであれば、代替手段を提供することもできたはず
しかも当日になって国土交通省からお達しを受けるほどの
膨大な計画をリタイヤにさせた責任は大きい
・忘れ物を取りに戻ったためマラソンの負けないでを二回合唱する羽目に
あと、番組開始前に技術面から斜め見すると書いたので
それについても少し述べておく。
・動的テロップの品質が録画番組水準に向上
これは明らかに言える。誰が、どのチームが何ポイント入ったというのを
瞬時に画面に反映するというのは人間の手作業ではどう考えても難しいことなので、
どこかに何らかの自動化システムが組まれているに違いない。
しかも点数が入った時に若干アニメーションが出ていると
いうのはこれには技術の進化を感じる。
録画番組水準、あるいは過大評価すればそれ以上なのかもしれない。
・フェード映像切り替え
これはオープニングの時から使われていたが、切り替え元の映像と切り替え先の
映像の透明度をいじってフェードで映像を切り替えていた。
これは確かに感動を生み出すのは有効だが、
切り替え先の映像が見れるまでに時間がかかるという難点がある。
視聴者にとって早く見たい映像であれば、フェードを使わないという手も有りだろう。
感動を優先するか、時間を優先するか。
難しい選択である。
・CGテロップの進化
特にこれは三輪車耐久レースの部分で見られたが、瞬時に順位順に並べて
一覧を表示してみたり、アップの画面でそれぞれのチームや順位を表示するなど、
データをCGテロップにうまく活用できていたのではないだろうか。
生放送で状況が刻々と変化する中であのレベルのCGを
うまく操れるのはすばらしいことのように思う。
データ放送については残念ながらフルセグの方は見ることができなかったが、
ワンセグの方では「特定時間にプレゼント抽選」のようなものが行われていた。
この次の抽選の時間というのがデータ放送を見なければ分からないと
いうのは番組を見てくれている唯一の証拠
(=番組を見ていなければならない)のようなものである。
放送と通信の融合については、今回は電話を使ったなんとかというのは
なかったのがこれもまた予算削減だろうか。
今はIT社会となっているだけに、電話回線を増やすより
サーバーを増やした方が安上がりというのは言うまでもないだろう。
CMの回数については相変わらず多かったが、
これはどう見ても避けられない仕様なのではないだろうか。
各社から協賛を得ると言うことは「CMを流せ」ということで
大量のCMを時間帯的に割り振っていかなければならない。
今回何本あったのかは知らないが、
おそらくキーと地方含め一時間で10本前後あったはずである。
それが26時間というのだから、少なからず250本ぐらいはあるのではないだろうか。
視聴者から見てCMはかなり多く見えたが、これは放送局や出演者からしてみれば
次の準備をする良い時間というようなものなのである。
CMは大抵2・3分あるだけに、その間にできることをしておけば・・というような感じである。
ただ、CMをむやみに使う(何かトラブルが起きた時のつなぎなど)のはよくないらしい。
また、予告もせずいきなり左下にロゴだけ表示して急にCMに移るというのは
視聴者無視の自己中心的なやり方ではないだろうか。
現場にいる人だけがその続きの会話を聞けて、視聴者はCM。
おそらく各番組で総集編としてしばらく放送されるので大して被害はないだろうが、
CM枠を他の箇所に移動させるなど工夫はできたはずである。
ここからは番組全体について少し書いていくこととする。
なお、見やすいようそれぞれにタイトルを付けて区切ってある。
<ヘキサゴンの移植?>
今回の26時間テレビのプロデューサーはヘキサゴンの
プロデューサーだっただけに、さらにヘキサゴンの出演者が四六時中いただけに、
ヘキサゴンが26時間番組になったのではないかという印象を拭えない。
また、ヘキサゴンは子供にも一定の人気がある番組である。
それをこういう大型番組に移植すると言うことは、確かに子供は楽しめるかもしれないが、
ヘキサゴンを知らない大人にとっては「つまらない」
この一言に尽きるのである。
深夜が面白いのかというと結局ヘキサゴンのメンバーが
出ていると言うことでここもつまらないという判定になるだろう。
要するに、特定番組をクローズアップして大型番組を制作する
と言うことは、その番組が嫌いな人に見て貰えないと言うことになるのである。
ヘキサゴン発のアーティストが大売れしているだけに
国民のほとんどがヘキサゴンを見ているのかというと
実際そうではないのだ。
そうであれば、視聴率40%前後取れて当然のはずだ。
子供にとってウケの良い番組が、
大人でもそのまま同じ事が言えるのかというとそれは間違い。
こういうのを放送側と視聴者側のギャップと言うことで
見ていただければ幸いに思う。
<未知の力>
どの番組でもそうだが、人も歌も音楽も、みな大きな力を持っている。
その力をどこでどう生かすか。
それ次第で、番組全体の雰囲気というのはかなり変わってくるのではないだろうか。
要素だけではなく、組み合わせであったりタイミングであったり、全てがうまくあってこそ
人に感動をより伝えられるようになるはずである。
<エンディングは同じ展開?>
今回の26時間テレビでは笑顔がテーマとなっていたが、
最後は結局感動と言うことで24時間テレビとほぼ同じような展開になっていた。
やはり感動が一番人を動かす力を持っているだけに、
その武器を使ってイメージを上げようとしている感も否めない。
一番懸念しているのが、このままこの感動路線を突っ走れば
フジテレビの27時間テレビとしての個性が無くなってしまうのではないかと言うこと。
物には必ず固定概念というものがあるが、27時間テレビが
24時間テレビに似通っていけば個性が無くなると言えるだろう。
パロディも多少は必要かもしれないが、意識しすぎるのもどうかと思う。
お互いライバル関係にあるのであればそれは考え物だが、
そうでないのであれば個性を生かした番組作りというものが必要だろう。
<耐久レースの完走の基準>
あと、一つ気になったのが耐久レースの完走の基準である。
これには物理的な根拠があるのか、というところである。
耐久レースはパソコンで言えばベンチマークのようなもので、
確かにベンチマークには完走と言うことで終わりはあるが、
実際の耐久レースは時間内にどれだけ回れたか。
これに完走というものはないのではないだろうか。
として考えると、完走の基準を作って
結果には順位と共に完走できたかどうかというのもまとわりつくわけだ。
実際にこの完走の基準に満たなかった放送局もあるわけで、
だからといってその放送局が頑張っていなかったのか
というと決してそういうわけではないだろう。
テンションを落とさせたくないのかなんだか知らないが完走の基準に満たなかった
放送局のインタビューなどは行われなかったが、ここにも問題がある。
何かを恐れて何もしないというのは最低である。
何かが起きてもそれを覚悟して・・・というのは時には必要なのかもしれない。
トラブルがなかったら・・等と言っていたが、
そのようなことで肩書きが一つ外れるのもこれも現実世界なのだろうか。
<三輪車の価値>
番組前にも書いたが、全員が何かに向けて努力する
これは、絶対に何かを生み出すのである。
紳助も最後で「しょーもない三輪車」等と言っていたが、
この言葉は三輪車を必死で作った側から見れば失礼に聞こえるかもしれない。
だが、あえて大人の世代の人々が今頃になっては使っていない、
使われていない三輪車を使ってレースをしたというのは思い出に残るはずである。
勝ち負けとか完走とか関係なく、
その走った人の一生の記念になるであろう。
わざわざ遠くのお台場まで来て戦うというのは去年にはなかった企画なのだから。
<音響効果>
応援に音楽を使って合唱する等というのはとても効果的である。
音楽素材だけでも十分人を動かす力がある。
だからこそ、BGMというものは雰囲気を演出する重要な要素のうちの一つなのである。
実際にアーティスト本人がその場で歌った生の声で
応援するという試みは良いのではないだろうか。
24時間テレビは最後にサライを合唱する展開であるが、ここで
サライを作ったアーティスト本人が出てきたらもっと面白い、ということなのである。
<初めての中の新鮮感>
神原プロデューサーがこのような大型番組に進出したのはおそらく初めてと
思われるが、おそらくその中に新鮮感があったことは間違いない。
いろいろな人が混乱する姿を直接テレビの画面から見ることはなかったが、
裏でそのようなことが行われているというのは薄々ながら感じたようにも思う。
とりあえず企画だけ出しておいて、後どうなるかは神頼み。
この方法で番組として成立するかどうかは疑問だが、
多くの人に批判されてこそ新しい物が生まれるのではないかと思う。
今回の26時間テレビは総合司会はもちろんのこと、
出演のほとんどをヘキサゴンが乗っ取っただけに、
アンチヘキサゴンを中心に批判が広まることは予測可能である。
(バカな人をクイズ番組に呼んでも答えられるわけないだろ等々)
毎年どこかをついて批判というのはあると思うが、
今年はいつも以上になることが予想される。
いきなり全てを変えて新しいことを始めるというのは
難しいというのが分かったのではないだろうか。
今回の教訓を是非来年にも生かして欲しいと思うが、来年はヘキサゴン主体の
番組ではなくどうか音楽番組なりエチカの拡大版なりネタは
いろいろあるかと思うのでそれらを使っていただければと思う。
最初から最後までいろいろとあったが、
「終わりよければ全てよし」
こう考えている人もいるのではないだろうか。
だが、番組というのは終わりだけよくても意味がない。
録画していれば何度でも見れるからである。
終わりだけよいものはバランスの悪い番組と称されても太刀打ちができないのだから。
いくら技術が向上してもやはり企画がしっかりしていなければ
誰からも認められる番組にはならない。
技術と企画がしっかりしている番組こそ、誰からも愛される番組となるのである。
ホームページでも枠囲みの文字が多かったが、やはりテレビのテロップも枠囲みの文字だらけ。
ヘキサゴンの雰囲気を出すのは良いことだが、せめてヘキサゴンとまったく
関係のないコーナーも設けていればよかったのではないかとも思う。
冒険王がなくなり、めちゃイケと27時間テレビがリンクする機会も
少なくなったわけだが、お台場は無くならないわけで。
となると、夏休みにお台場に行って何のメリットがあるかなどいろいろ考えてしまうが、
やはりお台場という場所の価値のために行けば損はしないのではないだろうか。
最悪、数十年後再び不景気になってフジテレビ社内の
夏休み恒例イベントが中止にならないかだけが心配だが。
以上、過去最高の長さとなってしまいましたが、
今回の26時間テレビに対する思いはこれで全て
吐き出せたと思いますのでこの辺にて締めと致します。
率直に感じる印象は
「人材に関しては十分だが企画の練りが弱い」という感じであろうか。
確かに人で困ったというと紳助がいろいろなところに飛ばされるというのは
少し悲しい様にも見えたが、総合司会なだけに仕方のないことだろう。
ここで言う人材というのはいわゆる「スタッフ」のことであり、これに関しては様々な場所に
十分配置されていたので特に大きなトラブルもなく
番組を進行できた点についてはよかったと思う。
(タイムキーパーは一人でも十分なのではないかとか思いながら)
今回の26時間テレビの問題点は企画の練りが弱いと言うこと。
具体的に言うと、検証して大体予測がついたものの十分に
検討を重ねず続行を決めた企画があったり、告白するなどとスタッフが相手に
あらかじめ聞いておけば結果の分かるようなものをあえて聞かず
視聴者にカルチャーショックを与えてみたりなど
ということで、今回の総評記事は主と思われる企画を列挙して
それについて書いていくという異例のスタイルをとらせて頂きたいと思う。
評価できる点は赤色で、課題点は青色にしてあります。
・オープニング
いきなりカウントダウンのセットから開始。
(そのセットをエンディングの時にも使うのかと思いきや、使わず外で合唱して終了)
紳助が募金の話をし出す
→24時間テレビと何の関係もないのに、むやみにリンクさせるのはどうかと
(※相手の許諾があるのであれば別)
・クイズ!ヘキサゴン
ルーレットでどこに参加するかが決まるわけだが、
山根はルーレット以前にルーレットが回らずに強制決定
これもバラエティな演出だと思うが、反発する人も視聴者の中には多いはず
ルーレットが回らないと言うことは、あらかじめセットされていたとしか考えられない
・ひょうきんベストテン
羞恥心がランクインしたはいいものの、わざわざ起こしに行くのはどうかと
それなら、わざわざセッティングしておいて他のスタジオを確保して
歌わせるというのもあったのではないだろうか
ステレオを持って羞恥心のいるところまで来て羞恥心に歌わせるかと
思いきや最終的にインタビュワー自身が歌うという意味不明な展開
(見られていないため中略)
・耐久レースのゴール
どの地点でゴールなのかというのがはっきりしていないためにわかりにくい
紳助が感動的な発言を連発するものの、選手に届いていたのかもいまいち不明
カウントダウンももう少し盛り上がれたのではないだろうか
耐久レースのゴール後、完走した後の目標で「告白する」も見事断られた
→これが現実と諭すことも大事だろうが、全国ネットの中で断るというのは非常に大きいこと
視聴者は他人事ながらショックを受けた人も多いだろう
もう一人の方は断られたかと思うと逆告白という急展開
→時間がかかるだけなのであっさりといった方が良いのではないだろうか
離婚届を破ったり、契約書を交付されたりとある人にとっては
何かを成し遂げるための踏み台的なものとなったと思うが、
見ている側からしてみれば完走した時のパフォーマンスにしか見えない
そこまでしなくても、自分の言いたいことを言うだけ、
地方の何かを宣伝するだけで十分な気がする
→普段番組内で番組が宣伝できるのは数十秒だが、ここであれば
一分弱取れるのだから、それを有効に活用すればよかったというのが一つ
あきたこまちの宣伝が良い例
・エンディング
いかだマラソンがうまく進めずリタイヤとなり、船で運ばれる始末
そこで二人がお台場までの道を走っていると
マラソン扱いとなり「負けないで」を歌う展開に
→しかし忘れ物があったようでCM抜けた後もう一度歌い直し
※マラソンの時に負けないでを合唱するのは24時間テレビと同じ展開であり、
山根は以前24時間テレビのマラソンランナーだっただけに、ゴールした時混乱した様子
その後、新人アナウンサーの紹介や提供読みは定番だったが、
最後の合唱で涙する人続出。
<トラブル一覧>
・羞恥心の福岡公演中止
→天候不良は逆らえないことだが、そのための人材はどうなるのか
・いかだリタイヤ
→スタッフの事前の検証で「進まなかった」とわかっていたのに
なぜ計画続行を決意したのか
正直、無謀な計画だったのではないか?
無理と数週間前から分かっていたのであれば、代替手段を提供することもできたはず
しかも当日になって国土交通省からお達しを受けるほどの
膨大な計画をリタイヤにさせた責任は大きい
・忘れ物を取りに戻ったためマラソンの負けないでを二回合唱する羽目に
あと、番組開始前に技術面から斜め見すると書いたので
それについても少し述べておく。
・動的テロップの品質が録画番組水準に向上
これは明らかに言える。誰が、どのチームが何ポイント入ったというのを
瞬時に画面に反映するというのは人間の手作業ではどう考えても難しいことなので、
どこかに何らかの自動化システムが組まれているに違いない。
しかも点数が入った時に若干アニメーションが出ていると
いうのはこれには技術の進化を感じる。
録画番組水準、あるいは過大評価すればそれ以上なのかもしれない。
・フェード映像切り替え
これはオープニングの時から使われていたが、切り替え元の映像と切り替え先の
映像の透明度をいじってフェードで映像を切り替えていた。
これは確かに感動を生み出すのは有効だが、
切り替え先の映像が見れるまでに時間がかかるという難点がある。
視聴者にとって早く見たい映像であれば、フェードを使わないという手も有りだろう。
感動を優先するか、時間を優先するか。
難しい選択である。
・CGテロップの進化
特にこれは三輪車耐久レースの部分で見られたが、瞬時に順位順に並べて
一覧を表示してみたり、アップの画面でそれぞれのチームや順位を表示するなど、
データをCGテロップにうまく活用できていたのではないだろうか。
生放送で状況が刻々と変化する中であのレベルのCGを
うまく操れるのはすばらしいことのように思う。
データ放送については残念ながらフルセグの方は見ることができなかったが、
ワンセグの方では「特定時間にプレゼント抽選」のようなものが行われていた。
この次の抽選の時間というのがデータ放送を見なければ分からないと
いうのは番組を見てくれている唯一の証拠
(=番組を見ていなければならない)のようなものである。
放送と通信の融合については、今回は電話を使ったなんとかというのは
なかったのがこれもまた予算削減だろうか。
今はIT社会となっているだけに、電話回線を増やすより
サーバーを増やした方が安上がりというのは言うまでもないだろう。
CMの回数については相変わらず多かったが、
これはどう見ても避けられない仕様なのではないだろうか。
各社から協賛を得ると言うことは「CMを流せ」ということで
大量のCMを時間帯的に割り振っていかなければならない。
今回何本あったのかは知らないが、
おそらくキーと地方含め一時間で10本前後あったはずである。
それが26時間というのだから、少なからず250本ぐらいはあるのではないだろうか。
視聴者から見てCMはかなり多く見えたが、これは放送局や出演者からしてみれば
次の準備をする良い時間というようなものなのである。
CMは大抵2・3分あるだけに、その間にできることをしておけば・・というような感じである。
ただ、CMをむやみに使う(何かトラブルが起きた時のつなぎなど)のはよくないらしい。
また、予告もせずいきなり左下にロゴだけ表示して急にCMに移るというのは
視聴者無視の自己中心的なやり方ではないだろうか。
現場にいる人だけがその続きの会話を聞けて、視聴者はCM。
おそらく各番組で総集編としてしばらく放送されるので大して被害はないだろうが、
CM枠を他の箇所に移動させるなど工夫はできたはずである。
ここからは番組全体について少し書いていくこととする。
なお、見やすいようそれぞれにタイトルを付けて区切ってある。
<ヘキサゴンの移植?>
今回の26時間テレビのプロデューサーはヘキサゴンの
プロデューサーだっただけに、さらにヘキサゴンの出演者が四六時中いただけに、
ヘキサゴンが26時間番組になったのではないかという印象を拭えない。
また、ヘキサゴンは子供にも一定の人気がある番組である。
それをこういう大型番組に移植すると言うことは、確かに子供は楽しめるかもしれないが、
ヘキサゴンを知らない大人にとっては「つまらない」
この一言に尽きるのである。
深夜が面白いのかというと結局ヘキサゴンのメンバーが
出ていると言うことでここもつまらないという判定になるだろう。
要するに、特定番組をクローズアップして大型番組を制作する
と言うことは、その番組が嫌いな人に見て貰えないと言うことになるのである。
ヘキサゴン発のアーティストが大売れしているだけに
国民のほとんどがヘキサゴンを見ているのかというと
実際そうではないのだ。
そうであれば、視聴率40%前後取れて当然のはずだ。
子供にとってウケの良い番組が、
大人でもそのまま同じ事が言えるのかというとそれは間違い。
こういうのを放送側と視聴者側のギャップと言うことで
見ていただければ幸いに思う。
<未知の力>
どの番組でもそうだが、人も歌も音楽も、みな大きな力を持っている。
その力をどこでどう生かすか。
それ次第で、番組全体の雰囲気というのはかなり変わってくるのではないだろうか。
要素だけではなく、組み合わせであったりタイミングであったり、全てがうまくあってこそ
人に感動をより伝えられるようになるはずである。
<エンディングは同じ展開?>
今回の26時間テレビでは笑顔がテーマとなっていたが、
最後は結局感動と言うことで24時間テレビとほぼ同じような展開になっていた。
やはり感動が一番人を動かす力を持っているだけに、
その武器を使ってイメージを上げようとしている感も否めない。
一番懸念しているのが、このままこの感動路線を突っ走れば
フジテレビの27時間テレビとしての個性が無くなってしまうのではないかと言うこと。
物には必ず固定概念というものがあるが、27時間テレビが
24時間テレビに似通っていけば個性が無くなると言えるだろう。
パロディも多少は必要かもしれないが、意識しすぎるのもどうかと思う。
お互いライバル関係にあるのであればそれは考え物だが、
そうでないのであれば個性を生かした番組作りというものが必要だろう。
<耐久レースの完走の基準>
あと、一つ気になったのが耐久レースの完走の基準である。
これには物理的な根拠があるのか、というところである。
耐久レースはパソコンで言えばベンチマークのようなもので、
確かにベンチマークには完走と言うことで終わりはあるが、
実際の耐久レースは時間内にどれだけ回れたか。
これに完走というものはないのではないだろうか。
として考えると、完走の基準を作って
結果には順位と共に完走できたかどうかというのもまとわりつくわけだ。
実際にこの完走の基準に満たなかった放送局もあるわけで、
だからといってその放送局が頑張っていなかったのか
というと決してそういうわけではないだろう。
テンションを落とさせたくないのかなんだか知らないが完走の基準に満たなかった
放送局のインタビューなどは行われなかったが、ここにも問題がある。
何かを恐れて何もしないというのは最低である。
何かが起きてもそれを覚悟して・・・というのは時には必要なのかもしれない。
トラブルがなかったら・・等と言っていたが、
そのようなことで肩書きが一つ外れるのもこれも現実世界なのだろうか。
<三輪車の価値>
番組前にも書いたが、全員が何かに向けて努力する
これは、絶対に何かを生み出すのである。
紳助も最後で「しょーもない三輪車」等と言っていたが、
この言葉は三輪車を必死で作った側から見れば失礼に聞こえるかもしれない。
だが、あえて大人の世代の人々が今頃になっては使っていない、
使われていない三輪車を使ってレースをしたというのは思い出に残るはずである。
勝ち負けとか完走とか関係なく、
その走った人の一生の記念になるであろう。
わざわざ遠くのお台場まで来て戦うというのは去年にはなかった企画なのだから。
<音響効果>
応援に音楽を使って合唱する等というのはとても効果的である。
音楽素材だけでも十分人を動かす力がある。
だからこそ、BGMというものは雰囲気を演出する重要な要素のうちの一つなのである。
実際にアーティスト本人がその場で歌った生の声で
応援するという試みは良いのではないだろうか。
24時間テレビは最後にサライを合唱する展開であるが、ここで
サライを作ったアーティスト本人が出てきたらもっと面白い、ということなのである。
<初めての中の新鮮感>
神原プロデューサーがこのような大型番組に進出したのはおそらく初めてと
思われるが、おそらくその中に新鮮感があったことは間違いない。
いろいろな人が混乱する姿を直接テレビの画面から見ることはなかったが、
裏でそのようなことが行われているというのは薄々ながら感じたようにも思う。
とりあえず企画だけ出しておいて、後どうなるかは神頼み。
この方法で番組として成立するかどうかは疑問だが、
多くの人に批判されてこそ新しい物が生まれるのではないかと思う。
今回の26時間テレビは総合司会はもちろんのこと、
出演のほとんどをヘキサゴンが乗っ取っただけに、
アンチヘキサゴンを中心に批判が広まることは予測可能である。
(バカな人をクイズ番組に呼んでも答えられるわけないだろ等々)
毎年どこかをついて批判というのはあると思うが、
今年はいつも以上になることが予想される。
いきなり全てを変えて新しいことを始めるというのは
難しいというのが分かったのではないだろうか。
今回の教訓を是非来年にも生かして欲しいと思うが、来年はヘキサゴン主体の
番組ではなくどうか音楽番組なりエチカの拡大版なりネタは
いろいろあるかと思うのでそれらを使っていただければと思う。
最初から最後までいろいろとあったが、
「終わりよければ全てよし」
こう考えている人もいるのではないだろうか。
だが、番組というのは終わりだけよくても意味がない。
録画していれば何度でも見れるからである。
終わりだけよいものはバランスの悪い番組と称されても太刀打ちができないのだから。
いくら技術が向上してもやはり企画がしっかりしていなければ
誰からも認められる番組にはならない。
技術と企画がしっかりしている番組こそ、誰からも愛される番組となるのである。
ホームページでも枠囲みの文字が多かったが、やはりテレビのテロップも枠囲みの文字だらけ。
ヘキサゴンの雰囲気を出すのは良いことだが、せめてヘキサゴンとまったく
関係のないコーナーも設けていればよかったのではないかとも思う。
冒険王がなくなり、めちゃイケと27時間テレビがリンクする機会も
少なくなったわけだが、お台場は無くならないわけで。
となると、夏休みにお台場に行って何のメリットがあるかなどいろいろ考えてしまうが、
やはりお台場という場所の価値のために行けば損はしないのではないだろうか。
最悪、数十年後再び不景気になってフジテレビ社内の
夏休み恒例イベントが中止にならないかだけが心配だが。
以上、過去最高の長さとなってしまいましたが、
今回の26時間テレビに対する思いはこれで全て
吐き出せたと思いますのでこの辺にて締めと致します。
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