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いきなりで申し訳ないが、プロジェクトXをご存知だろうか。
その中で国産OS「トロン」を製作した坂村健さんがこのようなことを言っていました。
「基盤になる物(OS)は空気や水と一緒。」
空気や水と一緒と言うことは誰にでも触れられると言うこと。
「有料にして利益を稼ぐという考えは初めから無かった。」と。
一方、当時大普及したマイクロソフトのOSは有料で多額の利益を得ていた。
確かに、OSは、ハードウェアやソフトウェアの基盤となる物です。
つまり、トロンは誰でも自由に取ることができ、改造まで出来るというのです。

これを私のソフトウェアと重ねてみると、まず「無料」という基準はクリアしています。
しかし、技術力の高いソフトウェアは一部登録制にしています。
なぜなら、その技術の代償や苦労を使用者に支払って欲しいためです。
ただ、私はその代償や苦労をお金にして要求するつもりはありません。
ここは人個人の考えによって変わってくるところだと思いますが、
ソフトウェアを使うことによってコンピュータの「便利さ」
「楽しさ」を気づいてもらえるきっかけになれば、私は
お金などを支払っていただかなくてもよいと思っています。


プログラムを作る元のソフトウェアも無料ですし、プログラミングを趣味レベルとして
やっている間は、完全なボランティアであると言うことです。
ソフトウェアがコンピュータの便利さや楽しさに気づいてもらう
「基盤」であるというのならば、ソフトウェアを有料にするということは、
ケチケチした、いわば利益優先という路線を歩んでいることになるのです。

ただ、元のソフトウェアが有料であれば
さすがに全てを無料にするわけにはいかないでしょう。
最低限のレベルで使う人々にお金を支払ってもらい、それで赤字を解消するような
どこかの会社のような感じになってしまいますが、この場合は仕方がないのです。

ましてや、有料のソフトウェアでソフトを作ったにもかかわらず
人々に便利や感動を届けるためにそれをフリーウェアと
しているのであれば作者には大変な感謝をすべきでしょう。


結論として、
・誰にでもソフトの便利さ、動く感動などを伝えたいのであれば「無料」
それに加えて、自分のソフトがいくらでも派生して欲しいのであれば「オープンソース」
・利益を確保しなければ生きていけないというのであれば「有料」
→その分、お金を支払えない人には一切使わせないという厳しい政策をしていることになる
→使用者が減り、その分貴重な修正の意見などが減る
→「誰でも使える」事が一番大切ということなのである。
それに加えて、
自分のソフトがいくらでも派生して欲しいのであれば「条件付きオープンソース」


ソフトウェアが、空気や水と同じ物かどうか。
同じと思っている人は、とっととオープンソースでソフトを公開しているでしょう。
しかし、最近のインターネット事情を見てみると少し表に出た瞬間から悪用される。
今までの「自由」は通用しなくなってしまっているのです。
そのような面から自分の技術や財産を守るために
有料にして本当に
信用できる人々にのみ使わせるなどといった考え方が
広まってきているのは否定できない事実です。


世の中の仕組みが根本的に変わらない限り、
以前のように
ネットに「自由」があふれる空間を取り戻すことは出来ないでしょう。
このパソコンに最初に搭載されていたCPUはCeleron 2.53GHz。
その後、2.8GHz→3.06GHz→3.20GHzと改造を繰り返していったわけですが、
このCeleron Dシリーズ、不思議な点が一つあります。
それは「TDP(最高動作電力)」と最高動作温度の項目がどのクロックでも同じと言うこと。
常識的に考えて、クロックが上がれば最大動作電力も上がり、
それに伴って温度も上がるはずと言うのは予測が付くはずです。
この技術的仕様により、
奇跡的に全ての改造で特にトラブルもなく性能の向上を果たすことが出来たのです。


同じSocket 478の中で特に有名なのが「Pentium 4」というCPU。
まず、P4に搭載されている、HTと言う機能について調べてみました。
HT=ハイパースレッディングテクノロジー
簡単にまとめるとこうなります。
「仮想的に1つのCPUを2つとし、並行処理させることで性能をより向上させる技術。」
そして、P4=爆熱というイメージがありますが、
中には爆熱ではないCPUがあると言うことを発見したのです。
TDPも残念なことにCeleron Dよりも数W上がってしまっていますが、
逆にそれ以下のTDPでは性能の向上が見込めない。
ということで、最低限(というかCeleron Dの延長線上)3.2GHz以上の
周波数にしようと言うことで、探し回ったところ何とか見つかり、入手。
交換し、スイッチON。
ピーーーピーーピーー
・・・・

ということで、CPUを交換したときにBIOSレベルでピーピーと音が出るときには
まずメモリを差し込み直してみるというのが以前の下積み時代(?)から
あったので早速実践し、再度スイッチON。

例の「CPUが変更されました。BIOS設定をリセットしなさい。」という画像
(上の画像はCeleron交換時の物)が表示され、即座にBIOSにIN。
そして、設定をリセットし、Saveすると今度はBIOSのロゴ画面でストップ。
再びメモリを挿し直して電源をIN・・・
そして、今度こそうまくいったかと思えば・・ブート寸前でフリーズ。
BIOS側の動作確認音ピーがなったのに何事ぞ、と。
メモリの差し直しなど入念にチェックして、もう一度やってみると成功。
成功後しばらくはいろいろと不安なため高負荷な動作をあえて避けてきましたが、
今では高負荷な動作でもサクサクとこなせるようになっています。
Core 2 Duoのように物理的にコアが2個あるわけではありませんが、
タスクマネージャーから見てみると綺麗に半分に分かれていました。
気持ち的になんか良いですね。
エクスペリエンスもCeleron Dと周波数が同じなのに0.2も向上。
FSB800MHzやHT、L2キャッシュ倍増などの効果が効いているようです。



上が、エクスプローラでフォルダをダブルクリックしていったときの
レスポンスの速さを証明する映像です。
(.aviの埋め込みを試みようとしましたが
ポップアップ表示が出るのでここは見やすくて軽いFlashで。)
このPentium 4は3.2GHzの中でも最低ランクの性能(?)なのですが、
それなりに速く動いてくれるので今までCeleronを使ってきた者としては
田舎と都会ほどの性能差を感じました。

とにかく、やばいです。

どこかで「VistaにCeleronを使うな」と言う意見を聞いたことがありますが、
ここまで性能が高いとそうと認めざるを得なくなってしまいます。
今まではCeleronの見方をしていたのが、今では敵です。
(といっても性能差ではP4が勝つのですが。)

とにかく、このPentium 4の性能の高さに
CPUを換装して初めて驚かされたのでした。


※CPUの換装は自己責任となります。
メーカーの保証が無くなりますので決して初心者はやらないようにして下さい。
どうなっても私は責任を負いません。
政府の教育再生懇談会(安西祐一郎座長)が、小中高校の教科書の質と量の
充実を図るためにまとめた教科書改革の素案の全容が26日、明らかになった。
これまで一般的だった教室での使用を主目的とした分量の薄い教科書から、
「自学自習にも適した教科書」に性格を変えようとするのが特徴だ。
特に、国語、理科、英語では、名文の引用や練習問題を豊富にし、
総ページ数を2倍に増やす必要がある、としている。
特に、国語や英語では、文豪や哲学者の名文や演説などを豊富に盛り込むよう提案。
合わせて、理数系の学力低下が著しいため、算数・数学の練習問題を多くするほか、
理科のテコ入れの必要性も指摘した。
また、学習指導要領の範囲を超え、上の学年で学ぶ内容を先取りする「発展的記述」に
関する文科省の指針について、小中学校での上限を「全体の1割」、
高校では「2割」としている規定を撤廃するよう求めた。
出版社が柔軟に編集できるようにするためだ。

上の引用文がかなり長いので箇条書きでまとめていくことにしよう。

・教科書は「見る」から「使う」、自学自習に適した物へ
今までは余り授業でも使う時間はなく、「見る」ばかり「線を引く」ばかりであった教科書が
今後変わっていく可能性がある。
補助教材としてワークなどを一緒に購入し、宿題と言うことでそれを家庭学習として
取り込むというのが今まで、いや、今のパターンだが、「使う教科書」に変わることで
そのような補助教材が不要になり、購入費を節約することが出来るのではないだろうか。
しかし、やはり教科書だけでは不安という親にはオプションで学校側が
何らかの補助教材の購入を選択できるようにすればそれで良いのではないだろうか。
「ワーク、ドリルの何ページ宿題」ではなく「教科書何ページ宿題」、
教科書完全依存という時代が来るのだろうか。

・国語、理科、英語では問題を豊富にし総ページ数2倍
特に勉強というのはつまづきやすい物。
一度つまづいてしまうとその後もうまくいかない。
自主学習という新しい概念を教科書に取り込むことで、「家でも勉強できる」
つまり「先生がいなければ勉強できない」というゆとり生活をさらに教科書が
脱却してくれるという意外に大きな役割を担っていると言うことが分かるだろう。
「先生がいなくても勉強できる」教科書が自主勉強をさらにガイドしていくようになれば、
まさに教科書としての本来の役目が果たせそうな気がする。
これからの教科書は「勉強の中身」と一緒に
「勉強のガイド」もしてくれるようになるということだ。
今までの教科書は90%以上が「勉強の中身」つまり、理科の教科書であれば
図と絵と覚えなければならない用語、実験・・・・等。
それだけではなく「勉強のガイド」となる存在、ということは問題を豊富にし、
自分の弱点を見つけやすくし、その自分の弱点を徹底的に勉強していくことで弱点を
克服できるかもしれないという新しい勉強法を確立することが出来るかもしれない。
ただ、この勉強法で全員が全員成功するとは限らないところが微妙なところである。

・国語や英語では哲学者の名文などを豊富に盛り込む提案
哲学者の名文。
最近の子供は、漢字や日本語などが苦手という。
なぜだろうか。そもそも漢字に険悪感を覚えている人もいれば、
国語自体が嫌いで授業をすっ飛ばしている人もいるだろう。
まず、日本語になれるには読書からはじめていくことが大事ではないだろうか。
しかし、正直言って読書の本もなければ時間はない。
そういう人のために家でも教科書を使って様々な小説などの
読書を出来るようにするというのもおそらく目的の一つに含まれているはずである。
読書から初めて国語に興味を持ち、授業を聞くようになり最終的に国語が得意になる。
これも一種の勉強法として確立されているのかもしれないが、
人によって成功しない人もいるかもしれない。
あくまでも教科書は「勉強のガイド」として存在しているだけで、
「教科書を使って勉強しなさい」という表現は間違っている気がする。
学生の本音から言わせて貰うと、教科書一本では勉強できないのである。
これを国語に当てはめると、本文を読む前からこの問題を解きなさいと言うのと同じである。
ただ、教科書にその本文があれば問題を解くことが出来る。だから読む。
ということになる。
「漫画よりも教科書の方が面白いのがいっぱい載ってる!」
これでは漫画の売り上げが落ちてしまいそうで心配なのだが、
教科書と言うことで他のページをめくれば漢字なども載っているであろう。
一度教科書の本文などにはまってしまうと他のページの部分も
読みたくなってしまうのである。現実問題。
と考えると、多くの物語があればあるほど読む気が起こる。
しかも全てが全く違う味を持つすばらしい物語。
しかしそれは時によって小説や説明文になっていくのかもしれない。
それでも、教科書を読み進めていくことでそれは予習という
学習になり、画期的な新しい勉強法となるかもしれない。
「教科書」が「勉強」を「ガイド」する時代が来た。

・理数系の学力低下に歯止めをかけるべく、「テコ入れ」実施
理科嫌い、数学嫌い。
理科は実験にさえ興味を持てば大抵他のことも
よく分かるようになっていくのだが、最近は時間の不足により
理科の実験をせずに答えだけ丸写ししているような光景を見かける。
非常に残念である。
これでは生徒に体験をさせていることにはならないだろう。
確かに実験をせず答えだけを書くことで授業時間は大幅に短縮され、
もし他のクラスに比べ送れているのであればその時間を取り戻すことが出来るだろう。
しかし、生徒に体験、いわゆる実験をさせないと言うことは
実験を通じてリアリティに覚えていかなければならない
何かを学ばせていないと言うことにも繋がる。
中には他のクラスに送れているにもかかわらず意地でも教科書に書いてある
全ての実験をやっていこうとする教師もいるかもしれない。
きっとその教師に教えられた生徒のほとんどは理科が好きになっているだろう。
なぜならば、ほぼ毎時間理科の実験が出来るのだから。
数学は残念なことに理科のように実験、体験というわけにはいかない。
ただ、数学には少しだけ体験と呼ばれる作業がある。
単元の最初にいきなり教科書の中身に入らず、
紙などの道具を使った実験的な体験をすることがある。
これはその単元に関連している体験をすることでその単元に興味を持ってもらい、
つまりは授業に集中しやすい環境を教師が作る、と言うことである。
マシンガンのように教科書に書いてある文だけを読みまくる先生が
果たして良い先生と言えるのだろうか。
もしその先生にものすごい知識があったとしても、
多くの人からそのような先生は敬遠されるだろう。

・発展的記述の上限規定撤廃、出版社の編集容易に
最近の教科書には、「発展的内容」として過去に習っていた内容が
新しい教育指導要領によって外されたものの、その教科により興味を持って
貰おうと出版社が独自で発展的な内容の記述をしている。
しかし、実際の授業では発展的内容は授業では飛ばされる傾向にあり、
発展的内容について深く語る先生は少ない。
この一年という限られている時間の中でどれだけ質の高い授業を生徒に提供できるか。
教育現場ではこれだけで精一杯なのかもしれない。
ただ、今回の改訂でこの発展的記述の上限が撤廃され、出版社の編集が容易となる。
メリットとしては、それらの教科が得意な人にとっては「発展的内容をすぐに理解できる」
それらの教科が得意でない人でも「最低限興味を深めることが出来る」
しかし、デメリットとして「習わなくても良い内容が増えることで、
結局教科書が重くなる」などといった保護者側からのクレームが増えることが予測される。
確かに習わなくても良い内容が入っていると
言うことは切り捨てれば省くことが出来ると言うことである。
それにより、教科書が軽くなり子供達の負担を少しでも下げると言うことになる。
ただ、教科書は東京書籍などの場合ほとんど全てが全国に出回っている。
特定の学校で発展的記述を授業で扱わないと決めたとしても、
他の学校では普通に発展的内容を授業に取り入れて
子供達に分かって貰おうとしているところもあるだろう。
要するに、広い日本の中で、
数少ない学校の意見を取り入れることは難しいと言うことである。


「使う」教科書へ。
「教科書がガイド」する時代へ。
教科書が新しい勉強方法を提案する日が来た、と言うことである。
しかし、これは一つだけデメリットを生み出す。
教科書の勉強方法に従うことで他の教材の売れ行きが変わっていかないかと言うこと。
たとえば塾など。
「教科書の問題だけで行けそうな気がするので辞めます」
と言う展開になれば、塾業界はかなりの痛手である。

ただ、これらの内容が全て実現するとは限らない。
諸処の都合で、見直されたり廃案になる場合もあるだろう。
上の引用部分を見てもまだ「確定」と言う表現はどこにもない。
とにかく、これらが実現した場合に起こる可能性のある問題について、
先に対策を講じておくことも重要な事ではないだろうか。
機能を絞り込んだ低価格のデジタルカメラが静かなブームになっている。
低価格デジカメは子供用など新たな需要を掘り起こしつつある。
使い切りタイプのデジカメも8月に登場する。写真ショップ「55ステーション」を展開する
プラザクリエイトは、廃棄された携帯電話の部品を再利用した
「エコデジモード」を全国1200店で売り出す。価格は27枚撮り1280円から。
画像データは取り出せず、カメラをショップに持ち込み、1枚37円で現像を依頼する。

ついに使い切り「デジタルカメラ」が登場した。
一個1200円という他のカメラと変わらないような値段で写真を撮れる。
もし写真の撮影に失敗したとしても写真を消してもう一度撮ることができる。
ここがデジカメとしての強みではないだろうか。

だが、今までの使い捨てカメラと違って弱点がある。
それは、「衝撃・水没に弱い」と言う点である。
今までは水没したとしても危ういのはフラッシュの電池ぐらいで
フィルム内部に被害を受けることは少なかった。
衝撃と受けたとしても若干フィルムに影響を及ぼすことはあったが、
その後写真が撮れなくなるなどと言った致命的な症状になることはあまりない印象だ。
使い捨てデジタルカメラの場合は、衝撃の時点で既に破損、
水没した場合は一発で動かなくなるだろう。
デジタルという概念から、
このようなデメリットが出てくるのは仕様としてとらえるほか無いだろう。

しかし、デジタルはメリットの方が確実に大きい。
使い切りデジカメなどという新しいアイデアが、日本の技術力の競争力強化に繋がる。
新しい技術をどんどん先進国に投入すると言うことは、ライバルを出現させ、
よりよい技術競争を行えるということになり、
結果時間とともによい製品が安くなっていくということである。
「新しい技術で世界の国民を笑顔にさせる」
このフレーズがあれば、例え難しい技術でも挑戦する意欲がわき、結果また
新しいアイデアを持つ製品が生まれていくだろう。これは氷山の一角に過ぎない。

今後に期待したい。
そして、使い切りデジカメを買う日が来ればレビューしてみたい。
マイクロソフトは25日、外来語カタカナ用語末尾の長音表記について、
ルールを移行することを公表した。

具体的には「ブラウザ」「プリンタ」といった、英語由来のカタカナ用語において
省略されていた長音を表記し、「ブラウザー」「プリンター」といった表記になる。
新表記の主なものは「アダプター」「インストーラー」「エクスプローラー」「スキャナー」

「ドライバー」「バッファー」「パラメーター」「フォルダー」「ブラウザー」「プリンター」など。
その他、すべての変更予定対象用語数は約300強となる。

マイクロソフトがこのようにカタカナ表記のルールを変更したことで、
他のアプリケーションメーカー各社も表記を変更する可能性が高い。
なぜなら、「ー」の違いに関してユーザーから疑問がわき出てくる可能性があるため。
たとえば「ドライバー」と「ドライバ」の違いは何ですか?
というようなものである。

同じと答えても、知識の浅いユーザーには納得がいかず、
相手に知識を押さえつけられたという不快感が残るに過ぎないだろう。

ただ、ルールを移行するに当たって
ユーザーインターフェイスの変更が必要になる場合もある。
たとえば、プログラマー的立場で言うとすると、「ウインドウの領域が足りなくなる」
「ボックスの高さや幅を小さくしなければならない」等といった弊害が
全てのアプリケーションで必ずしも存在しないとは言い切れない。
Windows Vistaの場合はメイリオフォントを使い、読みやすさを重視しているため、
比較的各ウインドウの幅や大きさは大きめに取られている。
そのため、長音を表記することになったとしてもさほど大きな変更はなされないはずである。

しかし、それらの変更が更新プログラムとしてパッチで配布されるようになるならば、
その更新プログラムのサイズは必ずしも小さいとは限らないということを
あらかじめ理解しておかなければ、大変な騒動になるだろう。

とりあえず、他の会社やプログラマーが
この業界トップのマイクロソフトの動きに揃えるのかどうか、期待したい。
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ぷろふ
名前:
yama
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関東在住。PC歴10年超。自作も得意。最新技術はぬかりなく追いかけます。ブログ王 人気ブログ
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