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日本経済新聞の2008年7月11日付夕刊記事によると、07年秋の読書感想文
全国コンクールで、小学校高学年の児童によるコピペが発覚した。
どのサイトか書かれていないが、あるホームページ掲載の
他人の感想文と酷似していることに審査員が気づいたのだという。
これが事実なら、コピペは今や小学生にも拡大しているということらしい。
さらに、日経の記事では、大学生では常態化しているとの指摘を挙げている。
金沢工大の杉光教授は、
「専門家ならソフトがなくても見破るべきというのは、見当外れ。
他人の言葉を持ってくることを正当化できるわけもなく、コピペは悪いと教え、
自分で考えるように指導することも必要でしょう」と話している。

ネットは、あらゆる時間の短縮を可能にする。
たとえば、簡単な献立を見てレシピを印刷して作ったり、
ゲームの攻略を見てその通りにプレイしてみたり、
あるいは何か品物を買う際にもワンクリックで購入できるようになった。
しかし、
ネットは「悪いことに使うときにも役に立つ」ということを忘れてはならない。
上のニュースのように作文の引用の場合でも、ネットは十分役に立つものとなる。
なぜなら、過去に何らかの賞を取った作文が
原文のままネット上に掲載されていれば、それを参考にしたくもなるだろう。

しかし、読書感想部という物はそもそも本を読んだ感想を原稿用紙に
書き記していく物だから、第一前提としてその文を書いた本人が本を読んで、
感動した気持ちを持っていなければ参加資格はない。
まさか、本を読んでいないにもかかわらずネットから引用して賞を取ろうとして
いたなどの考えを持っていたのであれば、これは詐欺に近い犯罪だ。
このような方法で賞を取ったのであれば、もし本当に本を読んで
うまい文を書いている他の人が受賞できないと言うことに値していくのかもしれない。
(大分県の教師汚職事件の問題と同じである。)

最近、「作文を親が添削する」などといったケースも多く見られる。
本来はこれはタブーなことである。
なぜなら、子供の自然な表現で書かれた文体を削っていってしまうからである。
「子供が本来言いたかった事」の確信が親によって削られて
いってしまうようでは、これは作文として意味をなさない。
そもそも、単純な考え方としては「親が添削する」と
いうのであれば「親が作文を書け」と言う話。
親が中途半端な立場にあるという今の世の中が、理解できないのも現実である。

コピペが大学生に常態化しているらしい。
このままでは、日本全体が「コピペ病」に犯されてしまう。
つまり、自分の意見を真に何かに表現することが出来ず、
必ずどこかの誰かの意見を参考に書いていることになる。
これでは、自分自身の個性をはぐくむことが出来ず、今まで行われてきた
国語の作文の授業も意味をなさなくなる。
段落や文章校正の決まりも、覚えなくてよくなると言うことになる。

作文コンクールなどの規定にある程度自由が許されていることから、
ネットから文章を引用してその作文に入れることも容易になっている。
主催者側もこのままでは応募者側を信用できなくなり、良い文章の
はずなのに落選させたりなどと、大雑把な行動に出てしまう可能性もある。
最悪、コンクールなどが廃止になるという可能性もこの問題は秘めているのである。

悪いことは短時間で短期間に出来る。
しかし、良いことは愛情を込めなければ出来ない。

今回のコピペ行為は「悪いこと」に分類される。
ホームページなどで公開している文章などは
きっと管理人が何時間も考えて練った物なのだろう。
当然、その人に多くの時間と労力がかかっている。
その人にお世話になっているという気持ちを忘れて、平然とコピペを行い、
そのままコンクールなどという最低最悪の行為をするのだから困りものだ。
しかもそれをまだまだ未熟な小学生がこなしているというのだから。
(もちろん親の協力も多少はあるだろうが、
良識のある普通の小学生であれば親が勧めても断るはずである。)
どこまでコンピュータが普及したかというのを改めて感じられる問題である。

作文や国語などが苦手というのは日本人全体の傾向として存在している。
だからこそ、ここは自分自身の意見を愛情を持って紙に書いていくという
作業をしていかなければならない。今の世の中に、それが必要なのである。
そうしていくことが出来れば、このブログのように
「少し偏見的な意見を持つ文章」を考えたり、他の誰にも出来ない「人を
共感させられる文章」を考えることが出来るようになるだろう。

いわば、ドリルなどの丸付けと同じなのである。
問題を解くときに答えを見て解けば早く解ける。
友達のドリルなどを見せて貰えば早く終わる。
しかし、それは自分の力になるか?
・・・ならない。
腕を自分の物にしたいのであれば、何時間かかっても、
下手な物でも良いから、自分の力で作品を仕上げる。
これが重要なことなのである。
ドリルの場合であれば、まずは自分の力で解く。
最後まで解いて、分からないところがあれば
教科書を見たり、参考書を見たり、他の友達に相談したりする。と言う手順だ。


ここまでして、初めて
オリジナルと呼べる作品が誕生するのではないかと考える。
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